障害者アートというもの

双極 / 発達 / 解離者の戯言

以前は「障害者アート」という言葉が嫌いだった。

健常者と障害者で別の基準を設けて「アーティスト(芸術家)」などと呼ぶのは、障害者に対して馬鹿にしていると思ったこともあるし、いわゆる「感動ポルノ」のひとつとしか見れないと思ったこともあるというあたりがその理由だ。

そもそも絵や書、音楽などを楽しむのに障害者も健常者もない。
それらを楽しむのに何の資格もいらなければ、誰の許可も必要ないのが基本。

それなのに、それを区別して、なにが「障害者アート」だ、と思っていたのだ。
なんのために祭り上げようとするのか。障害者だろうが、それ以外であろうが、芸術の域に達しているものだけを芸術と呼べばいいのだ、と。

ただ、最近少し考えが変わった。

ただただ楽しんでいる障害者の姿を、健常者を自認する方々に見てもらいたいと思うようになったのだ。
彼らの基準で「価値のない」などとされてしまう障害者がこころの底から楽しんでいる姿を見せたい。
「何のために生まれ、生きているのか」と問われることの反証のひとつとして。

他人の楽しみを「とるに足らない」なんていう権利は誰にだってないのだ。

Posted by Kanrinin